「みたか藤九郎、どんなに達人でも平伏している人間というのは斬れんものなのじゃ」
穴山が地面を間近に見ながら、横にいる平田にそううそぶいて見せたが、さすがに声は震えていた。
「上泉秀綱さまの御一行とお見受けいたしますが」
二呼吸ほど間があいて「いかにも」と、剣を抜いた男の後ろから聞こえてきた。
「どうか太刀を収めてくだされ、決して悪い話ではござらぬ」
さきほど「文五」と呼ばれた男は、後からきた男の顔を見て、剣を収めた。
「拙者、武田さまの家臣穴山信君、これなるは平田藤九郎と申す」
「穴山……」
後からきた一同が異口同音に呟き、顔を見合わせた。
「武田家の重臣ではないか」
と誰かがいった。
「ま、まさか、もう、お城が……」
藤鶴姫が、声にならない声を震わせた。
「いえいえ、城は完全に我が軍が囲んでおりますが、まだ攻めてはおりませぬ」
穴山の目が抜け目なく光り一同を見回す。
「殿は、退却なされなかったのですか」
姫は膝から崩れ泣き出してしまった。
「見事な御覚悟です、ですがまだ御健在ゆえ御安心くだされ」
穴山が得意げに声を張り上げた。
「では何故軍師である貴殿がこんなところにおられるのか」
疋田が今にも斬りかからんばかりに詰め寄る。
「そ、それは、ですな……」
穴山は一度、「コンコン」と狐のように咳払いをした。
「この度拙者、我が殿より特命を賜わりまして、上野の一本槍との御武名高き上泉秀綱さまをお招きするよう仰せつかり、こうして参上した次第」
一同がざわりとする中、秀綱だけが呼吸一つ乱していないことが穴山を焦らせた。
「我が殿のお望みは、まず箕輪の城、ですがその城と等価値、あるいはそれ以上に上野の一本槍さまを御所望いたしておられるのです、もちろん無条件に寝返れ、などとあなたさまの御忠心を蔑ろにしておるわけではありません、ここにおられるみなさんの御身の安全はこの拙者が約束いたしましょう」
一気にそうまくし立てた。
秀綱は懐に手を入れて、深く考え込んでいる様子だった。
「あなたがたならば我々を斃すことくらいわけもないことでござろう、だが、この先姫と亀寿丸君の安全の保証はできますかな」
疋田たちの背後に、囲んでいた穴山の手の者たちが、わらわらと詰め寄ってきた。
みな甲冑を着けていなかった。
――騙された――
疋田は悔やんだ。まさかこんなところで軍師が計略をめぐらせているとは。だが、ここまで近づかれてはもう姫と亀寿丸が危ない。
穴山は慣れた口ぶりで、次々と交渉の条件を挙げてきた。
「さてさて、上泉どのの御返答次第では、箕輪城におられる業盛どののお命も救えるやも知れませぬが、いかがか」
つづく
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