2014年12月28日日曜日

ジョギングにて

今年も蝋梅が咲きはじめました。
波志江沼の水が氷ってました。
昔は氷の上を歩けるくらい厚い氷が張ったそうです。
 
 
 
 
 

2014年12月23日火曜日

日光戦場ヶ原エスケープコース

 
10月に日光に行った時の話です。
湯ノ湖
 
 
湯滝
 
湯ノ湖→湯滝→戦場ヶ原と行ったんですが、赤沼ではなく光徳入り口バス停まで歩いてきました。
 
湯滝を下った所に広がる森
 
 
 
湯川
 
 
 
紅葉
 
 
 
湯川とはここでお別れ。
 
森をぬけると突然男体山が見える。
 
こちらのコースは初めてきてみましたが、この雄大な景色はなかなか感動します。
 
 
帰りは120号を登って帰ってきました。
 
途中戦場ヶ原を見渡せるポイントがある。
 
道端に咲いていた花。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ジョギングにて

気がつけば今年も残り一週間あまりとなってしまいました。
 
来年の2月に桐生の堀マラソンのハーフにエントリーしていますので、そろそろエンジン全開で走り込まなければ間に合わないのですが、なかなか時間がとれなくて、思うように練習できていません。

 
今まで2回だけフルに挑戦して、つくづく自分はマラソンに向いてないと思い知らされたんですが、もしかしたらハーフの方も今回が最後になるかな、なんてちょっと弱気になっています。
 

2014年11月6日木曜日

鎌倉に行った話

                  今年の9月に鎌倉に行った時の話です。
 
鎌倉駅
今は本当にいい時代で、湘南新宿ラインに乗ればほとんど乗り換えずに行けます。
 
今回のコース
鎌倉駅→御成通→長谷寺→高徳院(大仏)
→大仏ハイキングコース→北鎌倉駅→小町通→今小路通→鎌倉駅
 
 
江ノ電
鎌倉駅から長谷寺までは江ノ電に乗るつもりでしたが、あまりにもこんでいたので諦めました。
 
長谷寺
  
大仏
 
大仏のある高徳院から西に向かってちょっと歩くとトンネルがあります。
そのトンネルの手前にハイキングコース入り口がありました。
  
これが結構な登山道になってます。
 
 
 
途中にあったカフェテラス樹ガーデン。
とってもいい雰囲気でしたが、ものすごくこんでたのでパス。
 
海が見える。
今回のコースで海が見えたのはここだけ。
 
ほんの少しだけ紅葉している。
 
頼朝像。
今アイコンに使わせてもらっている写真です。
 
化粧坂切通。
 
海蔵寺
ため息が出るくらい綺麗なお寺でした。
 
私としては今回一番のお気に入りだったので、いくつか載せておきます。
 
 
裏庭がまたすばらしい。
 
他にもいろいろ行ったんですが、やはりさすが鎌倉だけあってどこへ行っても人が多くて。
これでもできるだけ人が写っていない写真を選んでみた結果、他の名所は今回掲載を見送ることにしました。
 
北鎌倉駅に到着。
 
引き返して鶴岡八幡宮
 
この後、小町通、今小路通と歩いて駅に着いたら、万歩計は3万歩を超えていました。
 
鎌倉は車で来るものではないですね。
前回車で出かけてひどい目にあったので、今回は電車で来てみましたが。
やっぱり鎌倉は歩いて見て回る街だとつくづく思いました。
その分見る所が限られて、今回は駅の西側しか行けませんでしたが、東側のコースは次回のお楽しみということで、特に鎌倉アルプスは楽しみですね。
 

2014年11月4日火曜日

箕輪城址に行ってきました

箕輪城のことを書いた小説で佳作をいただいておきながら、大変お恥ずかしい話ですが、私は箕輪城に行ったことがありませんでした。
 
今回やっと訪問することができまして、お礼も兼ねてすみからすみまで歩き回ってまいりました。
 
搦手口の駐車場
 
 
かなり広い
 
 
駐車場から見た城址
本丸址との高低差は20mくらいありそうです。
 
 
搦手口から入ると結構急な坂があります。
 
「猪に注意」という立て札がありましたが、ほんとに出そうなくらい深い森になっています。
 
 
坂を登るとすぐに二の丸址に出る。
 
公園のようになっていてトイレもあります。
 
二の丸から見えた景色、空が曇っているのが残念。
 
本丸と二の丸の間にある堀切。
当時ほとんど鍬だけで掘ったと書いてありました。
 
本丸門馬出し址
 
本丸。
かなり広い。
 
本丸からさっきの駐車場が見下ろせる。
 
本丸を奥に進むと御前曲輪址があります。
 
武田信玄に攻められ敗れた際、城主であられた長野業盛公は、ここで一族郎党とともに自害なされたそうです。
 
御前曲輪を奥に進むと階段がある。
方向的には城の東北側で、搦手口の駐車場側になります。
 
階段を降りて行くと「丸馬出」「親曲輪」「稲荷曲輪」と続いてます。
 
 
 
稲荷曲輪址
 
振り返って、さっき降りた階段。
このまま戻って、この階段の前を通って裏に行きました。
 
今でこそ「搦手」になっていますが、長野氏が使っていた当時は「搦手口」が大手門だったそうですから、城の西側は裏側ということになるかと思います。
 
ほとんどハイキング気分。
 
西側の堀切
 
写真には写っていませんが、意外と人がきていて、一回りする間に10人くらいすれ違いました。
今時の歴史ブームを反映してか、歴女と思われる若い女性もいました。
 
蔵屋敷址
 
 
三の丸址
ここでだいたい一周したことになります。
 
三の丸あたりから見下ろした高崎市。
ここから高崎市街地まで、ゆるやかな丘陵の坂になってます。
長野業正・業盛親子はこの榛名の裾野を利用して、この箕輪城を中心に無数の砦を築き武田軍を十年にもわたって苦しめ続けたわけですね。
 
万歩計を見たら、いつの間にか1万歩以上も歩いていました。
かなり歩きでのある広さでしたが、所々親切に「現在地」と記された地図の立て札が立っていたので、迷うことなく一周できました。
 
 
↓下の群馬県高崎市…をクリックすると地図が見られます。